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掌編小説『生と死』

短編小説


 歩を進めると、爪先に何かが触れた。どうせ誰かの屍だ。分かりきった答えを確認する気にもなれない。彼は魂の抜けたような表情で、西日に向かって歩き続ける。
 戦闘が始まって一週間。みんな死んでしまった。味方も、敵も。帰る手段はない。あちこち腐臭が漂い、血潮が大河を作っている。あちこち真っ赤だ。地平線に近づいてゆく太陽と、無数の兵士から流れ出す血液によって視界が赤く染まっている。そうか、赤は死の色だったのだ。
 何故自分は助かったのだろう。一番生き残るべきではない人間が何故、何十万の軍人の中で唯一の生者となったのだろう。軍に入ったのだって、死ぬ為だった。人の世に絶望して、生きる気力を失った。死のうと思った。だけれど自殺する勇気がなくて、気付いたら軍にいた。そんな臆病で身勝手な自分が、何故。同僚の一人は、この戦争が終わったら彼女と結婚するのだなどと言っていた。それ、死亡フラグだ、なんて笑いあったのはつい数時間前。直属の上官は、結婚を控えた娘がいる。さっさと戦争なんて終わらせて、式に顔を出してやるんだと聞かされたのは、太陽が南中していた頃。何故、人生に希望を持っていた彼らが死んで自分が生き残ったのだ。どうして彼らは死なねばならなかったのだ。
 一体誰がこんな結末を望んだというのか。
 太陽はすっかり地平線に沈んでしまった。そういえば、何故自分は歩き続けているのだろう。彼は不図疑問に思った。歩くのをやめれば死ねる。死にたいなら、ここでのたれ死ねばいい。このまま歩いて万が一祖国に帰れたら、また死にたいほど嫌なことが待っている。
 人を騙すことで喜びを感じる人、人を泣かすことで私腹を肥やす人。死んでゆく親しい人達、見つからない居場所。世間の冷たい目、死ねと言いながら笑う奴ら。
 この世はいつから、こんなに生きる価値の無い様な場所になったのだろう。彼は少し考えてから、足を止めた。
 子供の頃は、もっと世界は美しかった。希望に満ち溢れていた。空はもっと鮮やかで、赤は勇気の色だった。死にたいなんて、冗談でも思ったことはなかった。母は慈悲深く、優しかった。寡黙な父は怒ると怖かったけれど、一番の理解者だった。友人達はいつも笑っていて、どんな時でも手を差し伸べ合った。不満なんて小さなもので、悲しみなんて笑い飛ばせるようなチンケなものだった。
 あの頃に帰りたい。世界がまだ輝いていた頃に戻りたい。いや、せめて数時間前に戻して欲しい。この地に横たわる無数の躯がまだ、誰かを愛することが出来ていた頃まで。
 彼は、空を仰いで少し考えると、また歩き出した。西へ。その先に何があるのかは、ぼんやりとした頭では思い出せなかった。どこへも向かってはいなかったのかもしれない。然し、歩き続けなければやりきれなかった。徐々に何も見えなくなってくる。暁は次第に終わりを告げ、西の空までも黒く塗られていった。月はない。墨を流したかのような暗黒だ。
 彼はもう一度空を見上げた。どこからが空で、どこまでが人の世なのかわからなかった。そうか、これが地獄だ。自分は生きながらにして死者の世界に迷い込んだのか。
 いや、そもそも自分は本当に生きているのだろうか。
 周囲にこんなにも死者が溢れているのに、自分がたった一人だけ生きているというのも、妙な話だ。自分だけがこうして地を踏みしめているというそれこそが、おかしいではないか。こうして生きている様に感じているのも、死者の妄想ではあるまいか。
 彼はそっと自分の頬に触れた。暖かい。暖かいのは、涙を流しているから。だがこの涙は、本当に涙なのだろうか。試してみる必要がある。自分が本当に生きているのか、それとも死んでいるのか。
 彼は懐から拳銃を取り出すと、こめかみに当てがった。

HP宜しくお願いします↓

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掌編『茶碗』

短編小説

 その茶碗はずっしりと重く、よく手に馴染んだ。ザラザラとした肌触りが心地よい。全体的に肉厚だが、飲み口の数センチだけ土が薄く整形されている。指による無骨な痕跡はなく、ただただ滑らかであった。派手な主張などなく、落ち着いた雰囲気を醸す茶碗は侘び茶の数寄道具として相応しかった。茶の道を知らぬ学生が整形したにはあまりにも美しい。
 澪子は目を閉じた。その茶碗に濃茶を練り、給仕する自分を想像する。夕闇に沈む海の様な不思議な色をしたそれに触れているだけで、心が凪いでゆく気がした。正に、この街で海を愛する澪子の為にあるような茶碗だと思った。
 澪子は茶碗の製作者である水野真澄を見上げた。座っていても、視線は彼の方が頭ひとつ高い。涼しげな彼の目は、真っ直ぐに澪子を見据えていた。少し緊張した面持ちである。
「どう思う」
 それは、彼が半年に及ぶ工芸の授業で、経験を積んだ上で制作されたものだ。茶道を嗜むという澪子の為に、授業の集大成として拵えた。澪子は茶碗に目を落とすと、愛おしそうに撫でた。あのゴツゴツとした真澄の手が、数日かけて整形したものだ。澪子はその工程をじっと見ていたのだ。軽く緻密な整形を何度も何度も重ねた、苦労の結晶だ。その手間を知っているからこそ、澪子の為にと手渡された時には嬉しかった。真澄は、澪子の誕生日までそれが彼女への贈り物であることを明かさなかったのだ。
「この茶碗に触れていると、真澄さんの大きな手で包まれている様な気がします」
 そう言って澪子が茶碗の縁に唇を触れると、真澄は頬を染めた。澪子は真澄の茶碗を、何か愛おしい、儚い命を手にした様に扱う優しい小さな手を、真澄は愛おしいと思った。彼は緊張を解いて頬を緩める。
「気に入ってもらえたのなら良かった」
 澪子は慈しむ様に茶碗をもう一撫でしてから、そのままの眼差しで真澄に視線を向けた。真澄は己の心臓が高鳴るのを感じた。口元に小さなたおやかな笑みを浮かべている澪子は、本当に幸せそうに見えた。顔の作りはあどけないのに、その表情は分別のある大人のものだった。
「この茶碗で、真澄さんにお茶を立てて差し上げたいの」
 凪いだ海を掠める夜風のような声で言うと、澪子は優しく茶碗を畳に置いた。真澄が頷くと茶道具を用意し始める。一つ一つの動きがなめらかでたおやかで、そして淑やかであった。まるでこの茶碗がそのまま人間になったかの様だった。澪子は美しかった。

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短編小説『就職氷河期』

短編小説

 就職氷河期。何と恐ろしい言葉だろう。
 数年前までその言葉を、遠い世界の誰かにしか関係のないモノの様に、ヘラヘラと笑いながら眺めていた。自分が就職活動を始める頃には、もう少し良くなっているだろう、と。だが私の適当な予想はまんまと外れた。私が高校生であった頃よりももっと、それは厳しくなっている。街には職に溢れた若者達が昼夜を問わず集っている。彼らの瞳は皆澱んでいる。だのにそれでいて、鋭い光を放っているようだった。地べたに座った若者達は既に人生に絶望して、他人から奪うことで食いつないでいる。東京の治安は最悪だ。今のご時世、例えお天道様が燦々と照りつける真昼間であっても女性の一人歩きは自殺行為だ。え? オリンピック? あぁ、そんな話もあったわね。
 私が就職活動の為にあちこち移動する時も、必ず父親に付き添って貰っている。数年前まではそんなこと、子供を相当溺愛する人であってもなかなかしない行為であったのに今ではそれが普通だ。寧ろ一人で東京を歩こうものなら、親切な街ゆく人に交番へ連れて行かれる。そうでなければ、その先は死のみだ。
 私の周囲の人は比較的優秀な人材が多かったらしい。高校時代仲良くしていた友人達の朗報は何度も耳にしたし、大学で連んでいる友人にも、既にリクルートスーツを古着屋へ売ってしまった子がいる。就職氷河期なんて言葉、彼らは知らないのではないだろうか。だが私と彼らは別だった。私の状況は、街で屯す彼ら同様だ。両親や親戚からの視線が痛い。もう卒業も近いというのに、私は一つの内定も得ていない。全く手応えはなかった。
 実を言うと、真っ先に冬を越すのは自分だと思っていたのだ。高校時代から成績も優秀、特に英語に関しては秀でていたと思う。17歳の時にアメリカとカナダへ短期留学も果たした。教師からの期待も一心に背負っていたが、心地よかったし鼻が高かった。第一志望の大学へは苦なく入れたし、当時は人生がバラ色に見えたものだ。
 『英語なんてね、今のご時世みんな話せて当然なんだよ。だからね、そんなこと自慢げに話されてもねえ』
 それまでが幸せだった分、落ちていくのは地獄だった。高校時代、心の中でひっそりと見下していていた友人は真っ先に内定が決まった。大学で常に行動を共にしていた数人は私を除いて皆、既に社会人になることが約束されている。彼らと私に決定的な違いなどないはずなのに。
 いや、ある。私は彼らより優秀だ。強いて言うならそれであろう。高校の時も、私は学年で一番秀でていた。大学でも、みんなの憧れの的だった。だから、私が不幸になるなんて有り得ないのだ。彼らが私より幸福だなんて許されないのだ。だから私は、きっと今にこの窮地を抜け出すはずだ。そしてまたその先で優秀な成績を収める。私にはそれができる。私は優秀なのだから。だのに企業の奴らは、私がいかに優秀なのか見抜いていない。不幸な奴らだ。そうだ、彼らこそ不幸なのだ。私が不幸なのではない。私を選べば幸福になれるのに、その道に対して目を瞑っている世間の方が愚かなのだ。
 不意に、窓の外の若者と目が合った。金色に染めた髪と、対照的に伸び放題なヒゲ。衣服は薄汚れてぼろぼろだ。そんな奴が、私にニヤリと笑いかけた。

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短編小説『弱い冬』さよなら大好きな人スピンオフ

短編小説

 私は弱い人間だ。
 こんなに寒い冬を、私は経験したことがない。当たり前の様に居た彼がもう遠くへ行ってしまったという、ただそれだけのことなのに。
 桜が散り始めるような時期だった。土中竜君は、私が生まれて初めて人を好きになった、その相手。きっかけは、なんて事ない。図書室にて手が届かずに困っていた本を渡してくれたというだけの、小さな親切だ。恋愛小説は読むのに、恋愛そのものには興味がない。そんな私を一瞬にして恋に溺れさせる笑顔を、その時彼は見せた。
 それからというもの、私は頻繁に彼の世話を焼くようになった。少しでも彼の傍に居たくて、委員長という特権をフルに使用していた。学級委員なら、クラスメイトの世話を焼いたって怪しまれる事はない。だけど彼は、私を良くは思っていなかった。そんな彼の視線に何度も傷つけられた。面と向かって、近寄るなと言われたこともある。私の事がうっとおしいと、友人相手に話しているのを聞いたこともある。彼は、私が大切にしている小さな思い出なんてとっくに忘れてしまっていたのだ。休み時間の度、堪えきれずにお手洗いで涙した時期もある。好きでいることが辛かった。彼を好きでいることに何の意味もなかった。自分が傷つくばかり。それでも、好きという気持ちを止める術を私は知らなかったのだ。彼の近くに居たくて、何度嫌な顔をされても話しかけた。
 そんな彼の表情が徐々に柔らかくなっていったのは、夏休みが終わって暫くしてからの事だった。きっかけはなかったと思う。だけれど私はちゃんと覚えている。問題集と睨めっこをしている彼を何時もの様に覗き込んで、頼まれてもいないのに解法を教えた。いつもなら、そんなこと聞いていないからあっちに行ってくれ、と辛辣に言われただろう。その頃の私は、もう彼のそんな言葉は慣れっこになっていて、麻痺した心は傷つくこともなくなっていた。だからかえって、彼が呟いた言葉に胸が押し潰されそうな感慨を抱いたのだ。
「ありがと」
 その日は、久し振りにお手洗いで涙を流した。嬉しかった。報われた、とは思わなかったけれど。少しでも彼と近づけたことが何より幸せだった。私の大切な思い出が、またひとつ増えた日だ。
 それからの速度はあまりに急だった。彼は少しずつ私に笑みを向ける様になった。相変わらず辛辣な言葉を並べられたけれど、以前のように悪意はなかった。まるでとても親しい人へ発せられる憎まれ口の様で、かえって嬉しいと感じてしまう。
 彼がいなくなる事を知った頃には、生まれた頃から同じ時を過ごす親友の様になっていた。そう、親友だった。彼と親しくなれたのは嬉しかったけれど、所詮私達の関係は友人で終わってしまったのだった。彼の心の中の私は、世話好きな委員長のイメージしかなかったのかも知れない。その事が、彼の転校の事実よりも悲しかった。だけど同時に満足してもいた。
 これまで、彼が隣にいた冬など私は一度も経験したことはなかった。だから、いつもと何も変わらないはずなのに。私は弱くなっていた。大切なものを得てしまったのがいけなかったのだ。彼の笑顔のせいで、私はいつの間にか以前の私とは違う人間に成り果てていた。去年までは目の前の物事だけを見つめて突っ走る、そんな子供だった。勉強に対してはいつもそうだった。彼に近づいた時も、それだけが強みだった。
 だけど恋を覚えてしまったのだ。私には、一度覚えてしまった鮮烈な感触を忘れることなど出来無い。彼の心を感じられないのが何より辛い。心が冷え切ってしまいそうだ。忘れたい。何度もそう願った。叶わない事は知っていたはずなのに。彼の傍に居る事が適わないなら、せめてこの願いだけは叶えて欲しかった。
 私は弱い人間だ。恋を覚えてしまった、弱い人間だ。もうここにはいない誰かを忘れられない。きっと一生忘れないであろうことを私は確信している。一生だ。だけど、だからこそ、同時に信じてもいるのだ。もう一度彼に会える日を。

お題:即興小説トレーニング 様より『弱い冬』

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ダイナミックな雲

短編小説


 西の空に積乱雲が浮かんでいる。ひまわり垣根の向こうに見えるそれを認めると、洗濯物を取り込むために俺は立ち上がった。
「澪、手伝ってくれるか」
 縁側に座る俺の隣でかき氷を食べていた末の妹に声をかける。澪子は頷くと、グラスを置いて物干し竿の所へ駆けた。可憐にはためく白いワンピースは涼しげだ。今日は異様に暑い日で、アブラゼミの鳴き声が更にそれを助長させている気がする。奴らの鳴き声を聞いていると、まるで自分がフライパンの上で炒められてる気分になってくるのだ。そもそもアブラゼミという暑苦しい名称はそこから来ているのだと、以前何かで読んだ気がする。
 澪子は背伸びをして洗濯物に手を伸ばした。物干し竿の高さは丁度俺の俺の目線の辺りだ。チビの澪子には辛かったかもしれない。足が震えている。高校生にして小学生に間違われる程の身長だ、無理もない。
「澪、いいよ。俺が下ろすからお前は洗濯物を家の中に」
 見かねた俺が声をかけると、澪子はフルフルと首振って作業を続けた。儚げな顔をして頑固な奴なのだ、こいつは。溜息を吐いて、俺は出来るだけ高い位置にある物から外していった。天気がいいから洗濯日和だったのだろう。今日の洗濯物は相当な量だ。おふくろめ、取り込む人の気持ちも考えて欲しいものだ。
 俺が洗濯物の山を手に仕事を終えた時、澪子はまだ頑張っていた。ふと空を見上げると、巨大なな積乱雲はもう頭上に迫っている。竜の巣ではないかと疑いたくなる程ダイナミックでどす黒い雲。今にも雷が鳴って雨が降り出してくるだろう。気づけばいつの間にか煩かった蝉の合唱は止んでいた。最近では真夜中でさえ鳴く奴らだ。こんなに静かなのはいつぶりだったろうか。さっきまで鬱陶しかった筈なのに、消えてなくなるとどこか不安な気持ちにさせられた。
 澪子が最後の洗濯物を外し終えたその時、俺の頬に冷たい雫が触れた。
「澪、急げ。雨が降るぞ」
 俺が急かすと、澪子は急いで家へと駆けた。白い洗濯物の山で、視界が半分埋められている。転ばなければいいが。澪子が四苦八苦している間に俺の分の洗濯物を家に置いてくればよかった。フラフラとよろめく妹と出来るだけ歩幅を合わせて小走りしてやる。そのくらいしかできなかった。白いの山の頂点に、シミが出来た。二つ、三つ、四つ。これはまずい。俺は何とか上半身でそれを守りながら縁側に駆け込んだ。澪子は家の中に山を放り投げる。
 間一髪、何とか二人が家の中に駆け込んだ次の瞬間、背後で雨脚が強くなるのがわかった。本降りだ。澪子の顔を見ると、何とも言えず楽しそうな表情だ。制限時間付きのゲームでもした気分なのだろう。こっちの気も知らないで。
「楽しかったね」
 にっこり笑って言われると、笑い返すしかないじゃないか。まぁ、実際楽しかった。
 俺はもう一度空を見上げた。あのダイナミックな雲が、バケツをひっくり返したような――――いや寧ろ、海をひっくり返した様な雨を降らせている。洗濯物に関しては迷惑極まりないが、これで気温が下がるなら良しとしよう。こんなことも、夏休みならではなのだから。

お題:即興小説トレーニング 様 『ダイナミックな雲』

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「こっくりさん」第十話「暴走」

こっくりさん

「みんな腰抜けかよ」
 全員が同意しても、夏江だけは依然、憮然とした表情を崩さなかった。提案者ということを考えれば、無理もないのかもしれない。こっくりさんの帰し方を吉彦が勝子に確認しているのを尻目に、勝手に一人で囁きだした。
「こっくりさんこっくりさん、あたしの結婚式はいつですか」
「沖野さんっ!?」
 勝子が一瞬固まって、悲鳴のような声をあげた。普段の大人しい姿からは想像もつかない声だ。だが夏江は気にもせず、悠々と十円玉を眺めていた。口には得意げに微笑を浮かべている。だが、銅銭はぴくりともしない。
「お前、勝手に何してるんだよ」
 吉彦は慌てるというよりかは呆れた調子であった。半分睨みつけるように夏江を凝視するが、彼女は超然とした態度でサラリと言い訳を言ってのけた。
「質問しないで返したらこっくりさん怒るかも」
 濃い化粧の向こう側で、幼い少女の様な瞳が輝いている。吉彦は溜息混じりに呟いた。
「何を根拠に……」
「女のカンだし。悪い?」
「悪いだろ」
 不貞腐れる様に言うと、すかさず吉彦が答えた。
 夏江の行動は普段から自分のしたい様に、思ったままに、というのがモットーであるらしかった。ここにいる理由も、授業中に彼氏と電話をしたことが原因だ。周囲の事や規則は彼女には関係ない。夏江を縛る物は、自分自身だけだった。
「とにかく、折角呼んだのにもう帰しちゃうとか、ヤダ」
「子供かよ」
 駄々を捏ねるように夏江が言うと、またしても吉彦が鋭く突っ込んだ。だが、夏江は子供扱いをされても拗ねる様な事はなかった。かえって、吉彦との会話を楽しんでいる風にも見えるのだ。
 勝子は、まだ動かない銅銭をじっと見つめていた。こっくりさんは、最初の内は尋ね事をしても直ぐに反応しない事が多い。それを知っているから夏江も飄々と待っているのだろう。だが、勝子は全身を固くしてそれを警戒していた。
「……適当にいくつか質問して帰ってもらおう」
 最悪、手遅れの場合もある。だがこっくりさんと触れている期間がまだ短い分、今ならまだ間に合う。それまで黙りこくっていた悠二も、勝子をしっかりと見て頷いた。
「そうだな。沖野、お前もわがまま言うなよな」
「ムカつく」
 夏江はギロりと悠二を睨みつけた。茂みの様な睫毛の下からの視線は恐ろしい。だが、勝子が懇願するような眼差しで見つめると、一瞬息が詰まった様な顔をした。夏江の友人は強かな者が多く、勝子の様な純粋な者からの清廉な視線を受けたことがなかったのだ。夏江は目を逸らして不満そうに口を尖らしていたが、何度かチラチラと勝子を盗み見た後、最後には渋々頷いた。
「わかった、そこまで言うならこれで終わりにしてもいいよ」
 だが、それで終わりにはならなかった。
 夏江が呟いた刹那、指の下の十円玉が激しく震えだし、次の瞬間には大きく円を描くように紙の上を走り出したのだ。

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「引退」

短編小説

 廃部寸前の美術部がある。
 そう聞いて澪子が入部を決めたのは、中学に入って三日もしない内だった。 
 廃部寸前の部活を自分の手で救おうなどと、よくあるスポ根モノの主人公の様に考えていた訳では断じてない。それとは全く別の理由であった。
 入学式を終えた夜、澪子に美術部の話をしたのは彼女の兄と姉だった。兄の澪一郎は澪子と同じ日に高校生になっており、また姉の澪香は澪子の一つ上の中学二年生であった。
 授業の事、成績の事、校則の事、関わると面倒臭い教師の事。美術部の話題は、先輩である兄弟達が語ってくれる様々な話の内の一つに過ぎなかった。だが、それまで黙って大人しく聞いていた彼女は、その話題に色濃い反応を示したのだ。
「部員が一人もいないの?」
 黒目がちなどんぐり眼で澪子が兄を見つめると、澪一郎は微笑んで頷いた。生来人見知りである彼女にとって、他の部員とかかわり合いにならないで済む部活は魅力的だったのだ。更に聞けば顧問は女性だというので、男性が苦手な澪子には更に好都合だった。
「だけど、そんなのつまらないんじゃないかしら」
 バスケットボール部員である澪香によれば、他の部員とのかかわり合いの中で生まれる様々なドラマこそが部活の醍醐味なのだという。だが澪子は小さく頭を振った。内申書に部活をした形跡が少しでも残れば、それで良い。部活に加入していれば高校受験の時有利な点が一つ増えるのだという事も、兄から聞かされたのだ。それを告げると兄達は、入学初日から内申を気にする妹に何と言えばいいのか分からず顔を見合わせた。

***

 その翌日、早速入部届けを貰った澪子は美術室に赴いた。放課後になり、他の部活は活動を始めている。近くの音楽室から、ブラスバンドが一年生に向けて演奏をしているのが聞こえる。だが、美術室は人気がなく寒々としていた。それが彼女にとっては逆に心地が良い。一日人の多い教室に押し込められて、澪子は窮屈さのあまり窒息しそうだった。
 美術部の顧問はとても親切な女性だった。澪子の人見知りを事前に澪香から聞かされており、怖がらせないように取った対応のお陰で澪子も心を許す事が出来た。蚊の鳴く様な声で話す彼女の話も辛抱強く聞いてくれる。澪子にとっては最高の先生だった。
 澪子の目的は美術部員としての活動ではなかった。兄達に告げた通り内申書に記述があればそれで構わない。澪子が恐る恐る告げても、顧問は大して気にしなかった。これまでと違って部員が一人でも入れば部費が貰える。その金を授業で使う道具に余計に当てられるので、返って好都合だった。その行為は不正だった。彼女は強かだった。だが澪子もそれを気にしなかった。美術部の活動をしないのに日々足繁く部室に通う彼女によって、そこはいつの間にか澪子専用の自習室になっていた。デッサンの参考書や世界の名画の本の隣に澪子の問題集が置かれるようになっても、顧問は別にどうとも思わなかった。この関係は二人のどちらにとっても都合が良かった。
 それが変化したのは再び4月を迎えたある日だった。澪子は、自分がが入部するまで3年間部員がいなかった美術部に、入部希望者がいるとは思っていなかった。だが入学式の翌日、入部希望届を手にやってきた新入生は13人もいたのだ。顧問は驚いた様子でその応対をし、澪子は初めて知らない人で溢れかえる美術室の空気が我慢できず、新入生の誰とも口を利かないままそこから逃げ出した。
 新入部員によると、半年前に美術部を舞台にしたドラマが人気を博し、その影響でこの年の希望者が多かったのだという。一年生はしきりに、ドラマの中で行われていた様々な活動をやりたがった。いつの間にか美術室からは参考書は消え、代わりにコンクールの募集要項が出現する様になった。澪子はいつの間にか、週に一度美術室に顔を出すだけの存在になっていた。ワイワイと騒がしい場所にいるのは彼女にとって苦痛だったし、もうそこで勉強するにはあまりにも雑然としていた。部長の仕事が開始と終了の挨拶だけだったのも幸いなことで、彼女が来なくても困る人はいなかった。だが何故か、新入部員達は偶に来る澪子を返って貴重がったので、美術室がやはり彼女にとって特別な場所であることに変わりはなかった。新入生の中の誰も澪子の様な人見知りは居らず、不思議なことに全員社交的で気も良く、澪子に来ることを強いる輩もいなかった。澪子が彼らに慣れるまでの長い時間、辛抱強く待ってくれた。内気で人見知りな澪子が彼らと会話できるようになったのは、再び次の4月が巡ってきた頃だった。
 前年ほどではないにしろ、入部希望者は多かった。だが、再び美術部が様変わりすることはなかった。いつの間にか大所帯となった美術部の部員たちは仲も良かった。相変わらずの人見知りだった澪子のスタンスも変わらなかったが、澪子は幽霊部長で、この部活はそういうものなのだと誰もが受け入れていた。
「澪子先輩、次に来るの楽しみにしてますからね」
 そうした会話が成されるのも普通では有り得ない事だったが、誰も疑問に思いはしない。
 
***

 3年美術部員の活動は、夏休み前までで良いだろう。そう決めたのは顧問と澪子の二人だった。最も彼女は殆ど活動をしていなかったので、いつ引退しても構わなかったのだが。
 引退の日、澪子はいつものように顔を出す為だけにそこへ足を伸ばした。最初の一年は自習室で、後の期間は友達と挨拶をする為の場所だった。引退は対した感慨もなかった。
 美術室に一歩足を踏み入れると、爆音がした。
 声を出すこともなく、澪子はその場で尻餅を付いた。何が起きたのかも分からず呆然とする。
「澪子先輩、お疲れ様でした! 引退おめでとうございます」
 大勢の後輩がクラッカーを手に駆け寄ってきても、彼女は立ち上がることもできない。気づけば全員の力作と寄せ書きを手渡されていて、周囲では何人かが涙ぐんでさえいた。澪子はその時になって漸く状況を理解し、パクパクと口を開閉した。声が出てきたのは更にその数分後だ。
「わ、私、何もしてない」
 ――――部長らしいことを何もしてあげられていない。彼女の本意を、後輩達はちゃんと汲んだ。
「先輩は優しかったです」
「悩み相談に乗ってくれたじゃないですか」
 気づけばどんぐり眼も頬も赤らんでいて、口調はいつも以上にしどろもどろだった。
「たまには遊びに来てくださいね」
 丸で、今までちゃんと部長をやっていた人に対してのセリフの様だ。その時初めて、澪子は後悔し始めていた。この場所がこんなに暖かかったなんて。今まで自分は何をしていたのだろう。幽霊部長を許してくれる優しい部活など他にはない。偶にしか顔を出さない人を笑顔で迎えてくれる場所などここしかない。そんなことに今更気がつくなんて。
「わ、私、こんな、みんな……もっと、来れば」
 零れてくる涙を拭いながら澪子はしゃくり上げた。笑顔でいてくれる後輩の暖かさが逆に辛かった。どうして私は、内気を理由に部活を蔑ろにしていたのだろうか。後輩が入ってきた時点で変われたはずなのに。どんなに思っても時すでに遅し、失った時は戻ってこない。澪子は、何か大事な忘れ物をしたような気がしてならなかった。



お題 Poem-Original より「引退」

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「こっくりさん」第九話「奥田勝子」

こっくりさん

 顔を真っ青にした悠二が叫ぶと、対照的に落ち着いた様子の勝子が彼を見つめた。黒目がちな丸い目は、真っ直ぐに悠二を捉えている。夕日に燃える瞳の中に、怯えた表情の彼が映っていた。吸い込まれそうな程深い目をした彼女に見つめられ、悠二は動揺した。その視線に捉えられると、決して抜け出せなくなるのではないかという錯覚に陥る。そんな不思議な印象を受けた事に悠二は戸惑った。まじまじと見つめると、彼女の瞳は普通の人間のそれではないようにすら思えた。
 宇宙を覗き込んでいるようだ。
 悠二は不意に感じた。勝子の深い瞳から無限を見渡す様な気がした。まだ若い自分が知らない全てがそこに詰まっている。吸い込まれそうだと感じたのは、その宇宙の様な漆黒があまりにも魅力的だったからだ。悠二はこれ以上無い程の不思議に惹かれていた。それに映る自分自身もまるでこの世の物ではないような気がしてならない。今まで知らなかった感覚だ。それが何か分かる前に、悠二の心臓は暴れだしていた。分からなくてもいい気がする。悪くない。
 それだけの情報が一瞬にして彼の脳内を駆け巡った。情報の海に飲み込まれる前に、次の瞬間には、火照った自分の頬の熱さで目が覚めた。勝子をじっと見つめ返しながら魅力だとか考えていた自分自身に赤面する。さっきまで勝子の姿を視界に捉えても何も感じなかったのに、何故かドギマギしてしまう。居たたまれない気持ちになって、悠二は彼女から視線を外した。これ以上おかしな事にならない内に、と慌てて口を開こうとするが、それより先に勝子が彼に問い掛けた。
「とりあえず質問してみたらどうかしら」
「し、質問?」
 聞き返す声が思わず上ずった。一瞬、自分達がどこで何をしているのかも、何の話をしているのかも、自分が何故騒いでいるのかも、騒いでいるということ自体も忘れてしまった。勝子のきめの細かい白い肌は、橙色の光を受けて色づいていた。綺麗だった。
 悠二が勝子に気を取られている内に、吉彦が話を進めた。
「このまま帰ってもらうわけにはいかないのか?」
「何で?」
 吉彦も夏江も、勝子のことを気にも留めていないようだった。艶やかで真っ直ぐな黒髪、陶器のような白い肌、深い漆黒の瞳、そして白の中に浮き立つような紅色の唇。こんなに美しいのに。それはまるで人形の様だった。
 悠二はいつの間にか、正面の吉彦を見る振りをして、その隣の彼女を盗み見ていた。自分が何故その様な行動に出るのかはよくわからなかった。彼がそうしている間にも話は進む。
「本物だってわかったわけだしさ」
「本物だからこそ、質問とかするんじゃないの?」
 吉彦がこの恐ろしい遊戯を終わりにしようと、夏江を説得している。さっきまでの悠二なら必死に吉彦に賛成して夏江を説得にかかっただろうが、今の彼にその様な事を考える余裕はなかった。吉彦と夏江はこっくりさんをどうするかの議論に夢中で、悠二の様子がおかしいことにも、さっきまで真っ青だった顔が色づいていることにも気づいていない。
「でも、本物ならやっぱり危ないわ」
 勝子が口を開いた。その視線は夏江を捉えており、夏江も勝子を見ていた。勝子の赤い花の花弁の様な唇が動くのも、夏江は正面から見据えているはずなのだ。夏江が勝子に美しさに吸い込まれてしまったら。悠二はいてもたってもいられなかった。だが、いつもは煩い程に動く唇は、上下が接着剤で張り合わせられたかのようにピタリと固まってしまっている。そして脳も、今や思うように働かなかった。
「そうだよ、帰ってもらおうぜ」
 勝子の言葉を受けて吉彦が頷いた。彼も勝子を見ている。夏江は、憮然とした様子で口を尖らせていた。悠二は独り、勝子に目を奪われたまま操り人形のように首を振り続けていた。それを彼の恐怖故の態度だと考えると、誰もそれを気にしなかった。

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「こっくりさん」第八話「降臨」

こっくりさん

「こっくりさんこっくりさんおいでください」
 日が延びつつある初夏の夕方。午後5時という時刻でもまだ教室には橙色の西日が差し込む。燃える様な互の顔を突き合わせながら、4人の男女がそれぞれ思い思いの気持ちを込め、呟いた。
 この怪しげな遊戯の発起人である沖野夏江は、いつもの行為を退屈な日常に振り掛けるちょっとしたスパイス程度にしか考えていなかった。迷信とは知りつつも、やはり何が起こるかわからない事への期待は膨らむ。
 授業中に紙飛行機を飛ばして担任である浜田の頭にぶつけた咎でこの教室に縛り付けられている野崎吉彦もやはり、夏江同様に暇潰しとして薄汚れた銅線に指を乗せていた。
 学校一の問題児で常識知らずの榊原悠二は、持ち前のノリの良さでこの遊戯に参加したものの、次第に後悔を覚え始めていた。普段から怖い物見たさで恐怖に首を突っ込もうとするが、心霊系の類の物は大の苦手である。何も起きずにこのまま事をやり過ごせたらと願っている。
 無口で真面目な委員長である奥田勝子は、何か決意を秘めたような表情でそこに座っていた。その決意は自分の恐怖心を押しのけてまでこれに参加することに対する物なのか、若しくはそれ以外に向かう物なのかは果たしてわからない。
 4人が同時にお決まりの台詞を呟いてから数秒が経った。銅銭はピクリとも動かない。ある者はこっそりと安堵し、またある者は溜息を吐いて失望を顕にする。梅雨真っ只中の蒸し暑い空気の中で、誰一人として汗をかいている者はいない。
「もっかい言ってみようよ」
 後者である夏江が、口を尖らせて提案した。吉彦は頷いて賛成するが、悠二は今にもここから逃げ出したいとばかりに首をブンブン振っている。
「奥田ちゃんは?」
 念の為に夏江が尋ねると、勝子は数秒間黙って彼女を見つめた後に小さく意思表示した。
「3人で多数決で決めればいいわ。私はどちらでもいい」
「んじゃ、多数決でもっかいやるってことで」
 勝子が言い終わるか終わらないかの内に夏江が断言した。悠二はいよいよあからさまに嫌そうな表情をして溜息を吐いた。だが、夏江に逆らうと後が煩そうなので黙って従う。
「準備はいい」
 夏江が再び全員の顔を覗き込みながら尋ねた。再び重苦しい緊張した空気が降りてくる。そこが教室であるが故に、余計その雰囲気が気味悪く思えた。普段はざわめきが飽和する騒がしい場所で、物静かにこの様な儀式が行われるのはあまりに不似合いに思えたのだ。そしてその不似合いな雰囲気の中で一人明るいテンションで話す夏江は更に浮いて見えた。
「これで来なかったら終わりにしようぜ」
 見る影もなくしおらしくなった悠二が提案するが、夏江は丸で耳に入らなかったかの様に無視した。
「何があっても指離したりしたらダメだからね」
 そして大きく頷く。
「こっくりさんこっくりさんおいでください」
 男女の低い声が入り混じった声はまるで読経の様で、言いようのない不安感を煽った。葬式の様な雰囲気が流れる数秒間。不気味だった。
「やっぱり結局は迷信だったって……」
 溜息混じりに夏江が言い終わる前に、人差し指を置いた手元の銅銭が紙の上を滑り始めた。次第に速度を増しながらコピー用紙の上を円を描くように疾走する銅銭。殆どの者には今何が起こっているのか直ぐには理解できなかった。
「来た……」
 吉彦が信じられないという様子で呟く。青い顔で頷く夏江。勝子は眉間に皺を寄せて紙上を回る銅貨を見つめていた。
「うわああああぁあぁ」
 硬貨が紙の上を10周はしたかという頃になって、漸く悠二が声を上げた。その頃には幾分か余裕を取り戻していた吉彦は馬鹿にしたようにそれを鼻で笑った。丁度その時、十分に4人を脅かした十円玉は赤いペンで描かれた鳥居の前で止まった。
「ホントに来ちゃったね」
 半ば呆然としたように夏江が言葉を漏らす。空いている方の手で左胸を押さえると、掌を叩かれている様に感じる程強い鼓動を受けた。
「どうすんだよこれ」
 悠二は震える声で叫んだ。気色ばんでいるものの弱々しい声はいつもの半分の声量もなかった。
「誰も動かしてないだろうな」
 最初の驚きが去ると、吉彦は冷静に疑り始めた。
「こんな大きく動かしてたら腕の動きでわかるわ。本物よ」
 そしてそれに対して同様に冷静に対応する勝子。二人は顔を見合わせた。ここに来て初めて勝子の顔には戸惑いうという表情が浮かんでいた。 
「どうすんだよ、これッ」
 誰にも答えを返されなかった悠二が再び切羽詰った様に騒いだ。喘ぐような呼吸が痛々しい。先程より落ち着きを失っているが、無視できない程の声量は取り戻していた。

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「こっくりさん」第七話「忠告」

こっくりさん

 勝子も加わって、全員で小さな銅銭に指を乗せた。子供騙しの遊びだとは分かっていてもやはり、その興奮はひとしおであった。発起人である夏江は全員の瞳を順番に見つめながら言い聞かせた。
「自分で動かすとかはナシだからね。呪われるよ」
 付け睫毛の奥で、茶色の瞳が緊張に揺れていた。緊張に加えて若干の恐怖を抱いた悠二は、不安そうな声で言い返した。
「脅すなよ……」
「脅しじゃないよ。指離しちゃうのもナシだかんね」
 いつもの巫山戯た受け答えではなく妙に真剣な口調で夏江が念を押すと、悠二は慌てて指の関節に力を込めた。あまりに力を込めたので、人差し指が真っ赤に染まっていた。その指先から銅銭が離れない様必死に縋る様は普段の軽率な彼の姿と大きく異なっている。幽霊やこっくりさんに怯える彼の姿は夏江や勝子にとって新鮮であった。
 再び夏江は、全員の覚悟を確認するように瞳を覗き込んだ。そのあまりにも真面目な視線に、悠二は緊張を隠そうともせずに深呼吸を繰り返した。既に彼の額や掌は汗で滲んでいる。
 普段お調子者の彼であったが、どうしても克服できない怖いものが二つあった。ひとつは彼の父親だ。悠二の父は会計士をしており、神経質な性格であった為息子の教育へも力を入れていた。常識を何よりも重視しており、悠二へも幼い頃から厳しい指導を施していた。悠二が学校でこれほど非常識な行動を繰り返すのも、家での厳格すぎる教育への反発や反動なのであろう。
 そしてもう一つが幽霊や妖怪といった類の恐怖だった。これに対しては理由も理屈もなくただただ言いようもない恐れを感じていた。だが怖いもの見たさというものであろうか、大抵彼はそう言った恐怖に自ら飛び込んでいっていた。
「……緊張するな」
 彼がポツリとそのようなことを漏らすと、吉彦がニヤけた表情で鼻を鳴らした。
「ビビっているのか、悠二。お前昔から、お化けは苦手だったからな」
「……んなことねぇよ」
 からかう様に軽口を叩く吉彦を珍しく切り捨てると、悠二は再び深呼吸に戻った。必要以上に緊張している悠二とは対照的に、吉彦はこの状況を楽しんでいるようだった。
「それじゃ、始めよっか……って言いたい所だけど、最初になんていうんだか忘れちゃった」
 重々しい声で開始の合図を告げようとした夏江は、途中で声をいつもの調子に戻して三人を見回した。男子二人は呆れた様子で見返すが、勝子だけは静かに言葉を返した。
「『こっくりさんこっくりさんおいでください』」
 夏江の芝居がかった重々しい話し方よりも、平坦で静かな勝子の声の方が背筋を冷たくした。悠二は唇を真横に引き結び、俯いてしまう。夏江と吉彦は面白そうに彼女を見つめた。
「奥田ちゃん、よく知ってるね」
「意外だな……一番縁がなさそう」
 彼女が絵に書いた様な真面目な生徒であるということは既に吉彦の脳に記憶されていた。勝子は吉彦の言葉に小さく俯くと、抑揚のない声で返答した。
「まぁ、多少は」
「全然イメージと違うな。スゲェ嫌がってたし」
 吉彦が興味深そうに感嘆していると、勝子は更に小さな声で呟いた。暗い表情からは感情を読み取ることができない。ボンヤリとしたガラス玉のような双眸は、4人の人差し指を乗せた銅銭を静かに映していた。
「知っているからこそ嫌がったんだよ。……やっぱりやめておけばよかったかもね」
「え?」
「……」
 そのあまりにも小さすぎる声は、吉彦の下まで届かなかった。彼が慌てて聞き返すと、一瞬の沈黙の後、勝子は控えめな笑顔を上げた。
「言い忘れていたわ。南側の窓を開けないとこっくりさんは入ってこられないのよ」
「マジで!?」
 勝子の忠告に、吉彦は慌てて立ち上がって窓を開けに行った。彼女の微笑みの裏側にどのような感情が潜んでいるのかその場の誰にもわからなかったし、単純な彼らはそれを探ろうともしなかった。彼女の言葉通りに窓を開け放しにかかっている吉彦を、勝子は憂いを含んだ瞳で見つめながら溜息を吐いた。

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星乃瑠璃

Author:星乃瑠璃
星乃瑠璃です。
ひぐらしが大好きな小説家志望の変人です。
過激で短気。
米をもらえると泣いて喜びます。

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