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第一章『青春の忘れ物』第四話「それぞれの想い」

ねがい

 十数メートル離れた南からは見えないのをいいことに、翔斗は深く溜息を吐いた。美南は昔から、こうと決めたら誰に言われても自分の決定を曲げない鋼の意思を持っていた。今の彼女の瞳は、告白された嬉しさ故か、はたまた自分の素晴らしい思いつきの為か、無邪気に輝いている。こんなに生き生きとした表情で何かを始めた美南を止める言葉を、翔斗も、そして彼女の周りの誰も、知らなかった。
 仕方ない、付き合おう。
 翔斗はボールを片手にマウンドに上がる。
「こら、翔ちゃん。グローブ持って。キャッチボールなんだからね。いくら私の投げる球だからって、硬球なんだから。痛いんだから。」
 全身完全防備の美南が、拳を振り上げて大声を上げている。翔斗は首を振り振り、彼女の言われるがままにする。
 不思議な瞬間だった。
 今日は翔斗の夢が潰えた日。たった数時間前に譲れない試合に敗北した。チームは葬式ムードで帰還して、先程まで翔斗はどん底まで落ち込んでいた。それを励まそうとする美南も同じくらい傷ついていた。彼女を慰める意図と、そしてほんの少しの下心。そんな事情で、長年温めてきた思いを、お互い薄々わかっているけれど口にしたことのない思いの丈を、ぶつけた。そのはずだったのだが、美南は何も答えずに、自分のペースにわけのわからないままである翔斗を引き込んだ。
 彼女はどういうつもりでいるのだろう。翔斗の気持ちに応えるつもりはないのだろうか。美南もまた、彼を励まし返そうとしているのはわかる。それで始めたこれは、儀式。言い換えれば茶番だ。どうしたら彼女は満足するのだろう。美南がミットを構えるその位置に、寸分違わず精緻なコントロールの元、直球を投げ込めば納得するのだろうか。
「翔ちゃん。手加減したら、許さないんだから」
 凛々しい瞳を真っすぐ翔斗にに向けて、美南が言い放つ。きつく結ばれた口元からは、覚悟の色が伺える。
 翔斗は、理解した。
「やめとこう、怪我するぞ」
 美南は知っている。悲しい時、辛い時、これまで翔斗がどうやってその思いを砕いてきたのかを。投げて、投げて、思いを一球に込めて、投げて。これまでそうやって、消化してきた。全力で投げた球が、翔斗の心の迷いを消してくれることを、美南は知っている。美南は、それを受けると言っているのだ。野球で受けた傷を野球で晴らせと言っているのだ。この痛みを投球で晴らせなければ、翔斗が野球を嫌いになってしまうかもしれない。そう思っているのだろうか。
「その為の、コレでしょ」
 美南は脛当てを軽く叩いた。翔斗は首を振る。
「俺が本気で投げた球が直撃したら、そんなもの割れる」
 美南は鼻を鳴らして軽く笑った。
「凄い自信じゃない。でもね、私だって人並みに捕球くらいできるんだから」
「女子の人並みなんて、たかが知れてるよ」
 翔斗の言葉を聞くと、美南は目を吊り上げた。黒目がちで小動物のような瞳が憤慨に燃える。
「うるさい、翔ちゃんは何も考えず黙って投げればいいの」
 やめろと言って素直に聞く性格でないことはわかっていたが、これには溜息を吐かざるを得なかった。問答無用。翔斗は静かに首肯して、従う他なかった。これみよがしに肩を竦めると、いつもの投球フォームを取った。本気の構えだ。キャッチャーを睨む視線は、試合の時と同じもの。獰猛な肉食獣の瞳である。最後は根負けした。それは確かであるが、翔斗は本気で向き合う積りだった。余計な考えは要らない。いつものように、思うがままに投げ込むのみだ。今日はキャッチャーまで付いている。手厚いことだ。
「怪我しても知らないからな」
 ポツリと呟くと、翔斗は淀みない動作で腕を頭上に振り上げた。本当に怪我でもしたらもの凄く心配するであろうに、天邪鬼である。
 腕を大きく開き、ゆっくりと体重を移動させる。子供の頃から何百何千と繰り返してきた動作だ。すっかり板につき、骨の髄にまで染み付いた決められた動作。
 白球が闇を切り裂く鋭い音が響いたかと思うと、次の瞬間にはそれは美南の構えるミットの中にあった。そして、そのあまりの衝撃に彼女は後ろへと倒れた。一度はミットに収まっていた球も、遥か後方へと弾かれる。
「美南っ」
 思わず彼女の名前を叫んで、翔斗は美南の元へと駆け寄った。倒れたまま蹲っている彼女は、己の左手首を抑えていた。強く結ばれた瞼の淵には涙が滲んでいる。抱き起こそうと美南の肩に腕を伸ばした翔斗は、寸前で思い止まり空中で手を彷徨わせた。
「大丈夫、変な取り方はしてないから、捻挫とかじゃない」
 自力でゆっくりと起き上がった美南は、己の手首を翔斗に晒し、ぐるぐると回してみせた。彼女の言う通り、少し赤くはなっているものの、怪我をした訳ではないのだろう。しかし、ど真ん中に打ち込まれた翔斗の最高のストレートである。球速は140キロをくだらない。男でも苦労するような球だ。翔斗は己の軽率さを後悔し、眉を顰めた。頑固な美南に屈することなく、無理にでも止めておけばよかったと思った。
 しかし、美南は美南でその端正な顔を悔しさでいっぱいにしていた。自分から言い出したことでありながら、こうして翔斗に心配をかけてしまったこと。気合充分に重装備で構えて、簡単に後ろへ転がされたこと。未だにジンジンと痛み、その衝撃を伝える左手首。圧力を支えきれずに倒れたにも関わらず、今なおぶるぶると震えている両脚。迫ってくる速球に、反射的に目を瞑ってしまったこと。にも関わらず、美南の構えた場所に寸分違わず、そしていつもの速度を抑えることなくまっすぐに飛び込んできた球。美南はただそこにいただけだった。頑固に翔斗をキャッチボールに引き込んでおきながら、ただミットを構えてそこに座っていただけだった。満足に捕球もできず、己の脆弱さを曝け出してしまった。翔斗を励ますことが目的であるはずなのに。悔しくてたまらなかった。
「すごいね、翔ちゃんの本気の球、こういう形で見るの初めてだったかも」
 感慨深げに薄く微笑む美南の様子に、翔斗は安堵して小さく息を吐いた。
「思ってたより、怖いね。打つ時とは、全然違うね」
 美南は小さい頃より時折翔斗の球を打たせて貰うことがあった。だが、自分自身の中心にそれが飛んでくる恐怖は、想像を遥かに超えていた。
「試合の間中、こんなスピードの球、ずっと投げてたんだね。大変だったよね」
 美南の純真な瞳が、まっすぐに翔斗の視線を捉えた。彼女は声に出さないまま、ありがとうと呟いた。翔斗はそれを彼の目で受け取り、小さく頷いた。
「でも、この球が打たれちまったんだ」
 最終打席になろうという5番に、ホームランを打たれた。彼さえ抑えれば翔斗達の勝利だったのだが、最後に試合をひっくり返され、彼らの青春は幕を下ろした。
 コースも球速も申し分ない、翔斗の最高の球だった。それが次の瞬間にはバックスクリーンを叩いたのだ。相手打者が一枚も二枚も上手だったとしか言えない。本物の強者を目の当たりにして、絶望が胸を打った。自分の野球人生を否定された気がした。
 呟く翔斗の声には、諦念が滲んでいた。寂しそうな瞳には哀愁の色が映っている。胸を締め付けてやまない感情が翔斗の顔を支配する。その瞬間を目の当たりにした美南は、意を決したように力強く立ち上がると、後ろへ転がっていった球を取って戻ると、再び同じ場所に腰を下ろした。
「翔ちゃん、どうぞ。投げて」
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お久しぶりです。

自由書

お久しぶりです。
小説本編、ブログ共々半年ぶりの投稿になりました。
大学生活が忙しくこのような状況です。
せめて読者様がいれば、もう少し書く気が起きるのかなと思う今日この頃です。
固定の読者様を呼び込めるように頑張っていこうと思います。

さて、本日投稿いたしましたのは、『ねがい』第一章「青春の忘れ物」リメイク版第四話です。
野球部の少年少女の淡い恋物語となっております。
これを初めて執筆した時、私は中学生でした……。
今やそれから六年が経過しました。
それゆえ、なんともこの作品に固執してしまいます。
最後までリメイクを仕上げたいものです。

よろしければ是非、感想を書いていただけると嬉しいです。
それでは、また次の機会に。

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第一章『青春の忘れ物』 第三話『昔みたいに』

ねがい

 美南は、赤く上気した自分の顔を映す翔斗の瞳を見つめた。美南よりも少しだけ明るいその瞳。彼は少しだけ緊張していたが、少し興奮しているのは美南と同じだった。
「あのね、翔ちゃん」
 その瞳を熱っぽく見上げながら、美南は翔斗に語り掛けた。彼女をどこか不安げに見返す翔斗。美南は、少し逡巡した。もう一度、翔斗の瞳を見つめる。そこには、不安に隠れてほんの少しの恐怖と、たっぷりの気遣いが含まれていることに彼女は気づいた。喜びでハイになっていた心を、少し鎮める。一瞬、冷静になって考えてみる。
 どうして、今だったの? 翔ちゃんはどうして今、告白してきてくれたの?
 長い間考えなくてもわかった。一体どうやったら落ち込んだ彼を励ませるだろう。そうして一生懸命悩んでいたのは、とっくに翔斗にはお見通しだったのだ。沈んだ表情で必死に考えていた。美南が翔斗のために心を擦り減らしている事が、幼馴染の翔斗にわからない筈もなかったのだ。だから、彼は今美南に告白した。どん底の状況で、大好きな彼女の気持ちを明るくできる最良の選択肢は、彼にとってそれ以外になかったのだ。
 それって、なんだかフェアじゃないよね。
 美南は翔斗に向かって小さく微笑むと、手に持っていたボールを掲げて見せた。
「ね、翔ちゃん。今からキャッチボールしない」
 翔斗は怪訝そうに眉を寄せた。
「いいでしょ、お願い」
 言いながら、既に美南は翔斗の元を離れてベンチの近くへ駆けていた。グローブを持ち出そうというのだろう。
「……美南?」
 翔斗はただでさえ落ち込んでいるのに、美南のために隠していた思いを打ち明けた。本当に励まされるべきは翔斗の方であるべきなのに。先に励まされてしまった事に、美南はマネージャーとしてのプライドを傷つけられた気でいた。勿論、告白に対する答えは迷うまでもなく決まっていた。しかし、ここでイエスと言ってはいけない気がしたのだ。翔斗は幼い頃から目指していた甲子園に届くことができなかった。ピッチャーで三年生。最も重い責任があるだろう。最後の最後で最高のピッチングができなかった。だから負けた。最高のパフォーマンスができなかったから、落ち込んでいた。落ち込んで当然だ。だが、もしも美南が今告白を受け入れれば、翔斗はもしかしたら、その瞬間立ち直ってしまうかもしれない。果たして、それでいいのだろうか。それはごまかしではないのか。もやもやと落ち込んだ気持ちを晴らさないまま単純明快な喜びを与えて、絶望から目を逸らさせる。それは、翔斗のためになるのだろうか。
 彼を本当の本当に慰められるのは、彼を傷つけた野球そのものだけだ。自分が例え今彼の気持ちを受け入れたとして、それではきっと中途半端なまま残ってしまうのだろう。翔斗が美南と喧嘩したとき。飼っていたペットが死んだとき。野球が原因でなかった時でさえ、いつも翔斗はボールを投げて投げて、投げまくって気持ちを落ち着けていた。彼が立ち直るときは、涙が枯れるまで泣くやり方ではない。両の手が真っ赤に晴れ上がるまでボールに想いを込めて、それで気持ちに踏ん切りをつけていたのだ。美南のすべきことは、いつも最後の仕上げだった。それが彼にとって一番いいのだと、彼女にはわかっていた。決着をつけさせるのだ。
「翔ちゃん、マウンド登って」
 ベンチから出てきた美南は、完全防備の姿だった。ヘルメットにキャッチャーマスク、胴当てに脛当て。翔斗はギョッとした顔で目を見開いた。
「美南、何やってんだよ」
「何って? キャッチボールだよ」
 美南は、特に運動音痴というわけではない。人並みにキャッチボールくらいできる。それがこの完全防備で固めているというのは、翔斗を馬鹿にしているか、もしくは彼に本気の速球を要求しているということだ。美南はこのような場面でふざけて翔斗をコケにするような少女ではない。ならば、その意図するところは。
「本気で投げてね、翔ちゃん」

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第二話「親友」

さよなら大好きな人

 新幹線の立てる大きな音が霞んで聞こえる頃、僕は今朝のことを思い出していた。あの子との、別れの瞬間を。
 僕の目の前には、彼女がいる。いつも通り隙のない優等生スタイルを、最後の最後まで貫いて。制服の着こなしも、髪型も、毎日学校で眺めていたそのままの姿だった。だからだろうか、不思議と僕の態度もいつもどおりだった。悲しい別れの場面などではなく、ありふれた日常の1ページ。そんな風に思えていたから、悲しみは湧いてこなかった。見知らぬどこかへ行かなくてはいけない事にさえ、悲しみは湧かなかった。普段と変わらない表情で静かに微笑んでいる彼女を前にして、僕の心も静かな湖面のように穏やかだった。
「相変わらず、早起きだな」
 静かに話しかける。その声は、早朝5時の澄んだ空気に溶け込んでしまいそうだった。陽が昇りきらない薄闇の向こうで彼女が小さく答える。
「あなたは、よく寝坊せずに起きられたわね。いつも遅刻ギリギリなのに」
「流石に、今日は寝坊できねぇもん」
 彼女の、眼鏡の奥で瞳が輝いている。黒曜石の様に、輝いている。
「今日は、じゃなくていつも寝坊しないように心がけなさいよね」
 俺に説教する口調も表情もいつもと同じだ。ただ一つ、その瞳を除いては。朝闇の中、漆黒に輝く彼女の眼の中には、いつもより星が多い気がした。
 ――――いや、気のせいだ、自惚れるな。寂しがって泣いてくれているかもなんて、期待するな。
「……これからだってそうよ? 向こうの、えっと、広島だったかしら? そっちに行っても、毎日寝坊しないでちゃんと起きるのよ」
「わかってるよ」
「勉強もちゃんとするのよ。この私が、あなたのどん底の成績を平均にまで上げてあげたんだから、維持しないと怒るわよ」
 彼女の説教は続く。愛おしくも鬱陶しかった小言でも、最後だと思うと妙に感慨深い。人差し指をピンと立て、眉根を寄せてくどくどと言葉を続ける彼女。この姿も、これで見納め。そう考えてしまうと、いよいよ実感が湧いてきた。
 そうか、今日で、別れか……。
 僕は苦笑とも、泣き笑いともつかない微妙な表情で彼女を見ていた。不意に、彼女の言葉が途切れた。
「寂しく、なるわね」
 ポツリと呟いた彼女はやっぱり微笑んでいたけれど、言葉通りどこか寂し気に見えた。少し、嬉しかった。
 そうだな、とは言わない。照れくさくて、代わりに鼻で笑ってやった。
「その説教聞かなくて済むようになると思うと、僕は清々するけどな」
 言ったわね、そんなこと言うなら、毎日メールで長々とお小言送りつけてあげましょうか――――
 いつもなら、そう、昨日までの彼女なら、そんな風に元気な憎まれ口を叩いてくれるはずだった。それなのに……俺の目の前の少女は、何故か顔を歪めて、必死に何かを堪えているのだ。今思うと、彼女は泣き出す寸前だったのだろう。僕の前で泣かないよう、必死に耐えていたのだろう。だが、彼女はこれまで、一度だって僕にそんな表情を見せたことはなかった。彼女が唇を必死に噛んでいる理由を、僕は勘違いした。薄闇の中で赤らんでいる頬を、僕は怒りだと思ってしまった。
「悔しかったらもう少しお淑やかになってみろよ。もうちょっと、愛嬌があってもいいんだぞ」
 僕らの関係は友達というより、小競り合いの相手というか、喧嘩仲間というか、とにかく一風変わった付き合い方だった。だから普段はこうして煽りあって、憎まれ口を叩き合っていたのだ。僕はそれを心地いいとさえ思っていた。彼女もそう感じていたのは、まぁ間違いないだろう。
「……土中君は」
 彼女に似合わぬ小さな声で、ポツリと呟いた。眉を寄せて難しそうな顔をしている彼女の瞳を、僕は覗き込んだ。目を合わせるのは簡単なことだった。僕らの身長はほとんど同じだったから。中学生ならまぁ、こんなものだろう。でも、もし次に会うことがあったら――――その時が来るなら――――きっと僕は、彼女を見下ろすことになっているのだろう。
「私みたいな可愛げのない女の子より、もっと女の子らしい素敵な子の方が、好き?」
 彼女もまた。俺の瞳を覗き込んで尋ねてきた。その表情はどこかしおらしい。強気で頑固な委員長の顔に、これまで一度も浮かんだ事のない未知の表情だった。そして、この質問も。
「どういう意味……」
 何でそんな女の子らしい表情を浮かべているんだよ。お前、男勝りで強気な、あの委員長だろう。そんな表情、お前らしくないだろう。大体その質問何なんだよ。そんなの――――そんなの、恋バナみたいじゃないか!
 頭の中で数多の疑問が渦を巻いていた。辛うじて口に出せた微かな一言が、妙に情けなく感じる。気付くと、彼女の頬はどこか赤みを帯びていた。
「そのままの意味よ? 土中君は、私みたいな女の子、嫌い?」
 何を聞かれているのか、正直良くわからなかった。彼女のことは、嫌いじゃない。確かに昔は鬱陶しく思っていたけれど、今は口うるさい親友くらいには思っている。でも、彼女が求めている答えはそういうことではないというのも、なんとなくわかる。いつもみたいに、勉強に関する問題を出されている訳ではないというのが、なんとなくわかる。
「えっと……」
 何と答えるべきなのだろうか。今まで、他の女の子との間でこういう状況になったことはあった。つまり……告白だ。そんな時、僕は割とスマートに切り抜けることができていたのだ。でも、彼女は――――矢車風香は、他の女の子とは違うと思っていた。彼女は親友で、委員長で。もしかしたら僕は、彼女のことを好きだ、と思いながらも、異性だとは思っていなかったのかもしれない。
 だが、彼女は女の子だった。僕と同い年の、女の子だったのだ。そんな当たり前のことに気づかされた途端、頬の温度が突如として上がり始めた。
 頬を撫でる朝の風が、さっきより冷たく感じる。気づいていなかった彼女への深い好意を、その頬の熱が改めて実感させてくれる。
「土中君、どうしたの?」
 長い間逡巡したまま答えを返さない僕に痺れを切らしたのか、風香が怪訝な顔で僕を見つめた。眼鏡の奥の、黒くて大きな瞳に自分が映っている。その事が何だか恥ずかしくて、思わず目を逸らした。頬が熱を持っている。心拍数が上がった。まるで運動後のような自分の身体の反応に戸惑ってしまう。
「ねぇ、答えて?」
 そんな僕の具合を知ってか知らずか、彼女は一歩距離を縮めてきた。僕に逸らされた目線を再び合わせてくる。身体の異常が、加速する。僕の頭の中も、異常状態だった。あまりに狼狽したものだから、つい言わなくてもいい答えが、ポロリと口からこぼれ落ちた。
「お、お前、女だったんだ」

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第一話「恋」

さよなら大好きな人

秋。

僕ははじめての引越しをした。

理由は父さんの転勤だったけど、いい迷惑だ。

東京からずっとずっと離れた広島が新しい家。

今までの友達とは、きっともう二度と会えない。

あの子とも、もう二度と会えない。






 窓の外を田園風景が流れてゆく。新幹線特有の、化学繊維か何かの不快な匂いが鼻につく。滑るように駆けてゆく列車の中は、僕には酷く居心地が悪いように感じられた。さっきまで頻りに話しかけてきた母は、目を閉じて眠ったふりをしたら静かになった。
 目を閉じて、瞼の裏にあの子の姿を思い描く。三つ折の白い靴下、膝下の長いスカート、形良く結ばれたリボン。一番上のボタンまで閉じられて、一ミリの隙もないブラウス。漆黒の三つ編みに、銀縁のメガネ。そしてその奥に光る、溢れんばかりの知性と、品性の色。時代遅れなまでに真面目な優等生。堅物で、頑固で、いつも偉そうな鼻持ちならない委員長。だけど自分の気持ちには素直で、たまに浮かべる照れ笑いがとびきり可愛らしいことを、僕は知っている。脳裏には絶えずあの子のことが浮かんでくる。あの子の事ばかり、考えてしまう。
 暫くすると、頭がぼんやりしてきた。本当に眠ってしまいそうだ。広い窓からはまばゆい西日が差し込んできて、僕の体を温める。この光を、今、彼女も浴びているのだろうか。あぁ、何を思っても、必ず彼女に行き着いてしまう。きっと、これから見るであろう夢も彼女のことに違いない。
 今までも、彼女への思いは自覚していた。いつも気づけばあの子の姿を目で追っていて、目が合うと全身が心臓になったように鼓動が大きくなった。彼女の笑顔が自分に向けられれば幸福な気持ちになり、その笑顔が他の誰かに与えられれば冷水を浴びたように辛い気持ちになった。それでも、何よりも彼女の幸せそうな笑顔が大切だった。その気持ちがなんなのかはわからなかったけれど。どうしてこんなにも焦がれているのかわからなかったけれど。あの子のことが、大好きだった。
 でも、今なら――――彼女に会うことが叶わなくなってしまった今こそ――――分かることがある。僕は、自分が当時思っていた以上に、その何倍も、彼女のことを愛していたのだと思う。
 最後に見た彼女の影がちらつく。長い腕を大きく振って、別れを叫んでいた彼女の姿が胸に浮かぶ。全身を引き裂かれるような痛みがぶり返した。閉じたまぶたの隙間から、ぬるい涙が流れ落ちた。失ってはならない自分の一部を奪われたような気がした。彼女がいるから、今の僕がある。あの子の存在がなければ、今の僕は存在しない。そんな大切なことに今更ながら気付かされた。失ってから気付かされたものがあまりに大きかった。
 もう、遅いのに。こんなに強い気持ちなら、伝えておくべきだった。当時抱いていた淡い想いなんかではない。今の僕を蝕んでいるのは、愛しくて、切ない、あまりにも大きな恋心だった。――――そう、これは恋だった。
 
 初めて彼女に出会ったのは、中学に上がってすぐだった。なぜだかわからないけれど僕はあの子に目をつけれれていて、事あるごとに小言を貰っていた。
 正直、初めは彼女のことが嫌いだった。目も当てられないほど醜くはなかったけれど、特別美しいわけでもない。至って普通の少女――――いや、どちらかというと特異なほど生真面目な少女――――にちょっかいを出されても、ときめくものは何もなかった。お節介な彼女は僕のやること為すこと全てに文句をつけてきて、まるで学校にいる間でさえも母に監視されているかのような気分になった。
「ほら、ちゃんと掃除しなさいよ」
「そんな風にふざけていたら給食こぼすわよ」
「授業の3分前なんだから、そろそろ座ったらどうなの?」
「また傘忘れたの? 朝天気予報とか見ないの? ……ほら、これ貸してあげるわ。私2本持っているの」
 成績がいいからといって自慢ばかりする高慢ちきなやつだとも思っていた。僕とは友達でもなんでもないのに、勝手に答案を覗き込まれるのは閉口した。うっとおしいと思ったし、どうしてここまで馴れ馴れしくされるのかわからなくて、困惑することもしばしばだった。
「そこ、間違ってるわよ。使う公式が違うのよ……こっちのほうを使ってご覧なさい」
「あら、前回より点数下がってるじゃない。ちゃんと勉強していたの?」
「その問題、解法が少し複雑だから教えてあげるわ」
 そんな彼女の態度に慣れだすと、いつしかそれが心地よい日常に変わっていくのを感じた。いつも気づくと傍にいる彼女が嫌ではなくなって行くのと、僕が彼女のことを理解し始めるのは同時期だった。彼女は高慢などではなかったのだ。彼女は努力家だった。いつも同じ目線で、僕と向き合ってくれていた。彼女が僕にそうしたように、僕も彼女をきちんと見つめて向き合えば、あの子は嫌な奴なんかじゃないこともすぐにわかった。自分の成績の良さを鼻にかけて、僕をしたに見たことなんて一度もない。その知識や英知を、僕に分けようとしてくれていたのだ。こんなにも子供っぽかった僕に。僕の方がよっぽど嫌な奴だったはずなのに、彼女はいつもにこやかに接してくれた。お節介だと思っていたのは今思えば優しさだった。どうして彼女が、こんなにも真っ直ぐに僕を見てくれるのか、相変わらずわからなかったけれど。
 僕がいつ、どんなきっかけで彼女の本当の優しさに気がついたのか……それもよくわからない。いつの間にか、彼女がそばにいることが当たり前になっていて、そして同時に心地よくなっていたのだろう。気付くと、それまで乱暴にあしらっていた彼女のお節介を、受け入れるようになっていた。
 そしていつの間にか、恋をしていた。
 もっと早く、気付きたかった。この気持ちが恋であることを知りたかった。そうでなくとも、もっと彼女に優しくしてあげたかった。どうしてもっと早く気が付けなかったのだろうか。
 別れることになった今、そればかり考えてしまう。もっと早く彼女を受け入れていれば、幸せな時間はその分長かったはずなのだ。もっと早く素直になっていれば。もっと彼女を知ろうとしていれば。もっと早く、僕が変わっていれば。そうしたら、きっと今頃思いを告げることができていたかもしれない。
 この気持ちを伝えられていれば――――彼女の微笑みを、僕だけが独り占めできたかもしれないのに。

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第一章『青春の忘れ物』 第二話『告白』

ねがい

 口をつぐんで俯いた美南を目にして、翔斗も唇を噛んだ。翔斗には、彼女が何を考えているのか手に取るように分かっているから。美南は、不甲斐ない自分の姿を、見ていられなくなったのだ。励まそうとして思わず呼び止めて、でもそうした後になってから、こんな状態の自分に掛けられる言葉を探しあぐねてしまった。自分がこんな表情をしているばかりに。
 美南も苦しんでいる。沈痛な面持ちでじっと地面を見つめる彼女を見て、翔斗は痛感した。翔斗の夢は彼女の夢でもあった。甲子園に行くのは彼だけの目標ではなかった。こんなに早く、部活が終わりになるはずではなかった。翔斗も、美南も。
 翔斗が必死だったように、美南もまた、マネージャーとして必死だった。選手達が必死に足掻いた真夏の試合、彼女もまた、声を枯らして声援を飛ばしていた。寝ぼけ眼で翔斗が朝練に出た時、美南は既に登校して彼を迎えた。冬の夜も、心配になるほど遅くまで残って仕事をしていた彼女を、翔斗は知っている。
 辛いのは自分だけじゃない。美南も悔しくて堪らないのだろう。どんな時も自分を支え続けてくれた美南。自分を責めるだけでよい自分の、なんと気楽なことだろう。直接勝利に貢献できない彼女は、彼以上に辛い思いをしているに違いない。歯がゆい思いをしているに違いない。それなのに翔斗を心配して、気を使って、心をすり減らしている。
 彼もまた、そんな風に苦しむ美南を目にするのが耐えられなかった。小さい頃から十数年間、美南の悲しい顔も、悔しい顔も、いくつも、いくつも、全部見てきた。いつもこんな気分になった。自分が傷ついているその時より、彼女を傷つけたとき、彼女の傷付いた顔を見たときの方がずっと辛かった。この人の悲しみを壊したい。美南が翔斗に対してそう思ったように、翔斗も美南に対して思った。
 だが彼もまた、無力だった。今から彼女に勝利を届けることはできないのだから。甲子園への切符を渡してやることは出来ないのだから。だがその代わり、再び彼女を笑顔にするのは自分でありたいと思った。他の誰でもなく、自分が彼女を幸せにしたいと。それ以外にしてやれることはない。そして、それができなければ、情けない自分を一生許せそうになかった。
「美南」
 だから翔斗は、自分からその沈黙を破った。泣きそうな目をした美南が、ゆっくり顔を上げる。翔斗はゆっくりと美南の方へ近づいていった。開いた距離が、徐々に縮まる。さっき自分から背を向けた美南に、歩み寄る。近づくにつれて、涙に濡れる美南の表情が鮮明になっていった。そんな顔をさせたのが自分だと分かっているから、一歩進めるごとに胸がチクリと痛んだ。
 橙色の闇の中で、美南と自分だけが鮮明だった。美南の涙が、手元の白球にこびりついた泥を溶かしているのが見える。彼女の手の中で、自分達の、あのもう帰らない青春の日が、一瞬ごとに消えてゆく――――
「美南」
 ようやく、目の前に辿り着くと再び翔斗は彼女の名前を呼んだ。いつの間にか彼女の涙は止まっていた。橙色だった世界は、いつしか、より暗い、深い夜の時間に変わっていた。だが不思議と暗鬱とした雰囲気ではないように思える。目の前に大切な存在がいて、今、最後のけじめをつける。その決意で、先程まで自分の心を埋めていた嫌な想いは拭い去られていた。
「美南」
 翔斗が彼女の瞳をまっすぐに見つめると、美南もまた彼の瞳を見た。数秒見つめ合って、暫く振りに頬笑みを浮かべた翔斗が言った。
「好きだ」
 美南は、少し衝撃を受けたように目を見開いたあと、何か憑き物が落ちたように微笑んだ。もう涙を浮かべていない瞳は、彼の瞳を映してキラキラと輝いていた。満天の星を映す湖畔のように、美しかった。暫くの間、二人はそれ以上は何も言わずに微笑んで、見つめ合っていた。

***

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過去作の修正をしています。

自由書

こんにちは。
現在、タイトル通りの活動をしています。
昨日は、長編『ねがい』の一章を手直ししました。
今日は短編『さよなら大好きな人』です。
過去に書いた作品は、あまり文章を盛り込んでいなかったり、文章一つ一つが単調だったりしたので、修正点は多いです。
私の作品はストーリーや内容よりも文章や雰囲気重視の純文学寄りなので(純文学と呼ぶにはあまりにも稚拙ではありますが)一話の中でストーリーがあまり進まず、登場人物がぐるぐると物思いに耽っている描写が多いです。
そしてその傾向は年々顕著になっており、つまり手直しをすればするほど、登場人物のぐるぐる小説になっていく訳です。
この文体が良いのか悪いのか、そして読者様にとって面白いのかつまらないのか、あまり声を聞かないのでわからないのですよね。
サイトのカウンター自体はしょぼしょぼと回っているのに感想を頂けないということは、感想を書きたくもならないほどつまらないということなのでしょうか……。
よくわからないです。
とりあえずこれからは、自分も多くの作者様の作品を読んで、感想を言い合えるような作家仲間さんを作ってみたいなと思っております。
そしてもし、このブログをお読みになっている方がいらっしゃいましたら!
よろしければ是非、感想を書いていただけると嬉しいです。
それでは、また次の機会に。

PCをお使いの方は、本家HP +Ange+ も是非お立ち寄りください。

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第一章『青春の忘れ物』 第一話『敗北』

ねがい

「……ごめん」
 悲痛な声で呟いた翔斗は、他には何も言わず、美南に背を向けて立ち去ろうとした。泥にまみれたユニフォーム、まめだらけの手のひら。これまでの文字通り血の滲む様な努力と、今日の死闘の結果もたらされた勲章だ。だが、マウンドから遠ざかってゆく翔斗の背中にあるのは、寂しそうに霞む背番号の"1"だった。
 朝もやの中、夕焼けの中、星空の下。いつもは輝いて見える筈なのに。彼の努力の証全てが、今日は今日だけは、美南の心を切なくさせた。橙色に翳る世界は、二人の悲しみや悔しさ、そして寂しさを飲み込んでゆっくりと広がってゆくような気がした。トボトボと歩を進めるその投手は、橙の絵の具に塗り込められて、カンバスから消されようとしている。そして、美南自身も。
 いつもよりふたまわり小さく見える翔斗は、心すらも、彼女から離れてゆくようだった。落ち込んだ彼との間に、見えない壁を感じる。強くてかっこいい、美南のよく知る翔斗ではなかった。自信に満ちたマウンド上での覇気は完全に消えている。失意の中、青春をなくしたただの高校生だ。悲しみに打ちひしがれた少年は、少年であるのにどこか哀愁に似た雰囲気が漂っている。彼はもう、何も持っていなかった。
 美南は手にしたボールを握り締めた。今日の試合を終わらせた一球。彼らの青春を終わらせたボール。ひょっとしたら、彼らのうちの誰かの野球人生をも、終わらせた。土で汚れた白球に、ひと雫の涙が零れ落ちた。流れ落ちながら、土を拭ってゆく。彼らの青春の痕跡を、一筋の涙が、消し去る。
 ひとりぼっちの狭いグラウンドで、美南は立ち尽くしていた。夏の始まりを告げるセミが、鳴いていた。少し寒い今年の夏は、随分と訪れが遅かった。彼らの夏は、始まる前に終わった。
 高校最後の夏の甲子園地域選抜。彼らの学校はほんの数時間前に敗れた。ベストエイト。県下数百校の内の、八番目。ヒエラルキアで言えば頂点に近いその位置だが、夢の切符を得られるのは、僅か一校。一番でなければ、意味がない。三度あるチャンスの、最後の一度が、終わった。七対八の惜しい試合だった。あと少し守り抜けば勝てたのに。最後の最後で逆転され、幕を下ろされた。いい試合だった。そう言えば聞こえはいいが、その分悔しさも大きい。緊張の中投げ抜いた翔斗は、自らの3年間を一球一球に込めて投げた。そしてその内の一つを、バックスクリーンに飛ばされた。それが全てだった。3年間が、そこで終わった。
「翔ちゃん……待って」
 気付くと、声を上げて呼び止めていた。美南は、これ以上翔斗の姿を見ていたくなかった。いつもは堂々と胸を張って歩く彼の、しょんぼりとした姿をこれ以上見ていたくなかった。だが、いざ翔斗が立ち止まってから困り果ててしまった。一体自分は彼に何ができるのか。なんと声をかけてやれるのか。
 球場から学校に戻ってくる時の葬式のような雰囲気のバスで、一人泣いていた彼。皆の期待を一身に受け、マウンドの上で戦い、そして打たれた彼。誰よりも遅くまで居残って練習していた彼。そんな翔斗を、全部見ていたから。美南は何も言えなかった。
 翔斗にとって、甲子園がすべてだった。幼稚園の頃にテレビで見てから憧れ続けてきた夢の舞台。物心着く頃には、いつもボールを握っていたのを、幼馴染である美南は知っていた。翔斗は甲子園に行くものだと、信じていた。その夢が叶わないことなど考えたこともなかった。まるでどこかの漫画の様に、「美南を甲子園に連れて行ってやる」と意気込んでいた彼を、キラキラした瞳で見つめて、応援していた。翔斗の夢はいつしか、美南と二人の夢になっていた。夢は願って努力すれば、叶わないはずないのだと信じていた。だからその舞台への道を挫かれた時にかける言葉など、用意していなかった。
 立ち止まったままだった翔斗が、とうとう痺れを切らして振り向いた。疲れきった顔。どんなに練習が厳しくても、こんな表情をしたことがなかった。一気に歳をとったようにやつれている。目には何も写っていなかった。あぁ、これが絶望。
 そんな顔を見て、美南はますます言葉に詰まった。今の翔斗に届く言葉など存在しない。自分など何も役に立たない。辛い時に支えてあげることもできない。美南は泣きそうになった。翔斗が苦しんでいるのに、何かしてあげたいのに。好きな人が、泣いているのに。

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お久し振りです

自由書

お久し振りです

先日無事に大学入試が終わり、晴れて自由の身になりました、恋川つばきです。

無事に大学生になれる模様です。

HNですが、ここのところコロコロ変わっています。

最終的にこの形に落ち着き、しばらく変える予定はございませんので、改めましてよろしくお願いします。

受験が終わり、数ヶ月ぶりにHPを覗いてみて真っ赤になってしまいました。

文体もそうですが、そもそも書いてる内容が恥ずかしいこと恥ずかしいこと……。

これを機に、いくつかの小説は削除して、HPそのものを新しく生まれ変わらせたいと思います。

また、更新なのですが、しばらく執筆しないうちに感覚が鈍って書けなくなってしまったので、少しリハビリ期間を置いてから改めて更新を再開したいと思います。

時間に余裕も出来たので、他の作家さんと交流したり、今まで以上にアクティブに活動していきたいと思うので、どうか宜しくお願い致します。

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Far away 2話『11/21(金) その1』

Far away

 11月21日金曜日

 お兄ちゃんと野宮伊代を殺した。
 
 いつも制服のポケットに入っているサバイバルナイフで殺した。窓から野宮伊代の部屋に入ると、まずは私に背を向けていたお兄ちゃんの背中にナイフを突き立てた。スーマーで買ってきた鶏肉に包丁を突き立てる時よりは弾力があって、そして異物を拒否しようという抵抗力はあった。筋肉がある分硬い。近所の犬や猫なんかは筋肉があまりなくてブヨブヨしていたから、初めての感じだ。柔らかい内蔵を掻き混ぜる感覚とは違う。硬くて重いものに異物を突き立てて、深く深くへと飲み込ませてゆく感じ。
 お兄ちゃんへの愛はもう無かった。私を裏切ったこいつは、今まで私を人間扱いしてこなかったやつらと、もう何も変わらない。悲しみだとか苦しみだとか、そんなものはもう私の中になかった。何時もの様に、温かい肉に怒りを突き立てる。それだけ。ネズミを引き裂いている時と、何も変わらない。
 刃を全部お兄ちゃんの背中に飲み込ませると、今度は勢いよくそれを引き抜いた。一緒にどす黒い血が飛び散る。でも、場所が悪かったんだろうか、思ったほどの量ではなかった。ナイフを抜いた辺りから、白いシャツがどんどん赤く染まってゆく。飛び散る血液は少量だったけれど、服に広がるシミは結構大きい。制服のワイシャツがぐしょぐしょに濡れてゆく様子は、少し色っぽいと思った。今までそんな目で見たことなかったのに、最後の最後で。お兄ちゃんは大きく痙攣すると、後ろへ倒れた。つまり、私の方へ。私はその体を抱きとめると、顔を覗き込んだ。お兄ちゃんの顔は真っ白で、もうすぐ死ぬ人みたいだった。あ、そうか、もうすぐ死ぬんだ。
「墨花、どうして」
 お兄ちゃんの声は掠れて、途切れ途切れで、殆ど何も聞こえなかった。でも恐らく、こう言ったんだと思う。
「私を裏切ったから」
 お兄ちゃんは小さく首を振った。血の気はないのに、顔中汗塗れ。腕の中で、お兄ちゃんの体が小刻みに震えていた。口をパクパクさせているのは、空気を求めているのか何か言いたがっているのか。良く分からない。背中を刺したから、肺に穴があいたのかもしれない。私にもたれ掛かるお兄ちゃんの体はすごく重い。だんだん、私の制服がお兄ちゃんの血で温かくなっていくのが分かった。黒いセーラー服でよかった。血が目立たないから、このあとも動きやすい。
「すみ、すみか。は、あ……」
 殆ど閉じかかっている瞳が、縋る様に、そして力なく私を見ているのがわかった。その顔は痛みと苦しみ、そして多分絶望と疑問に歪んでいる。出来れば後悔とか懺悔とか反省も入っていて欲しいけれど、その表情を歪めているのがどんな感情なのか詳細に分かる便利な能力を私は持っていない。残念だ。
 一番よくわかったのは、お兄ちゃんが苦しがっているっていうこと。私を裏切ったこの人なんて正直もう、心底どうでもいいけれど。この15年間守り続けてくれた恩があるから、最後にそれを返そうと思った。楽にさせてあげよう。私はお兄ちゃんの血に濡れたナイフをその喉元に当てると、勢いよく掻き裂いた。血飛沫。背中から大量の血が流れている割にはかなりの勢いだ。初めからここを裂いていた方が面白かったかな。血を流しながら大きく痙攣したお兄ちゃんの体は、最後には動かなくなった。血の勢いも止まる頃、お兄ちゃんは果てた。出血が酷いから、体温の低下も早い。冷たく動かないお兄ちゃんは最早人形と同じだった。
 お兄ちゃんを片付けると、私は野宮伊代を見た。野宮伊代は腰が砕けて動けない様子。まだ一滴の血も流れていないのに蒼白で、瞬きを忘れたかのように、ずっと目を見開いたまま固まっていた。大きくて丸い可愛らしい目が、ただ驚きに支配されている。バカみたいにぽかんと開けっ放しの口。こっちもこっちで、人形だ。
「野宮伊代」
 お兄ちゃんを床に置くと、立ち上がって呆けている野宮伊代を見下ろし、声を掛けた。バネじかけの人形のようにびくりと反応した彼女は、ゆっくりと緩慢な動きで私を見た。次第にその瞳に様々な感情が浮かび出す。絶望、恐怖、悲しみ、愛しさ、驚き。滑稽だった。この世で一番大嫌いな奴が、この世で一番大好きな人を失って、この世で一番の絶望を味わっている。この私の手で。傍に竹刀もあるというのに、お得意の剣道は封印されたままだ。好都合。あんなもの振り回されたら、たぶんつぎにしぬのは私。でも野宮伊代が呆けている限りは……。
「私、何度も言ったよね、お兄ちゃんから離れてって」
 野宮伊代に近づきながら言った。覚醒の兆候が見えないかどうか、注意深く表情を観察しながら。表情が変わったら急いで逃げないと、こいつを片付ける前に殺されてしまう。
「あんたのせいだよ、私からお兄ちゃんを奪おうとしたから。お兄ちゃんが死んだのはあんたのせい。あんたがお兄ちゃんを殺したの。わかる?」
 ゆっくりと言い聞かせるように。漆黒の瞳が揺れて、頬に涙が零れた。
「私が……」
 私の言葉を確認するように、ぽつりと呟く。もう野宮伊代は死んだも同じだ。最悪な死に方。
「あんたが現れたかったらお兄ちゃんは死ななかった。私と幸せに生きてゆけた。あんたのせい。あんたさえいなかったら、何も変わらなかったのに!」
 相手を攻撃する言葉で、自分の体がどんどん熱くなっているのを感じた。憎い。言葉にして改めてわかった。憎い。最初から気に入らなかった。この野宮伊代という勘違い女。私とお兄ちゃんの二人だけの世界に勝手に土足で入ってきて、全てを壊していった。死ねばいいんだ。こんなやつ死ねばいいんだ。地獄に堕ちればいい。私はお兄ちゃんと二人、天国で野宮伊代が現れる前の幸せな生活に戻るんだから。ふたりっきりで。二人きりの世界で。邪魔する人なんて誰もいなくて、お兄ちゃんに好意を寄せる馬鹿はいない。お兄ちゃんは私だけを見てくれる。そんな世界に生きたかった。私が求めてたのはお兄ちゃんだけ。お兄ちゃんがそばにいて私の名前を呼んで微笑んでくれる。それだけが望みだった。お金も友達も恋人も、他のものは何も求めていなかった。何も持っていなかった。ただ、私にはお兄ちゃんだけ。どうしてそれなのに奪われなくちゃいけなかったのだろう。許せない。何かを奪うなら、もっとたくさん持っている恵まれた人から奪えばよかったんだ。
 気付くと、血まみれの野宮伊代が倒れていた。頭から爪先まで、全身切り刻まれている。我を忘れた私がやったんだろう。上出来だ。上出来だけど、ちゃんと殺している間も意識を保っていたかったな。

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第1話『母』

Far away

 一体何を間違えてしまったのだろう。あの日から私は、何度も何度も自分にそう問いかけてきた。遠い遠い過去まで記憶を探って、全ての始まりを思い出して。私がうまく立ち回っていれば、あの悲劇は起こらなかったのだろうか。私があの子達をちゃんと見ていてあげていれば、もっと早くに異変に気づくことができていたのだろうか。知らなかった娘の顔。知らなかった娘の闇。私は何も知らなかった。知ろうともしていなかったのかも知れない。
 カーテンの隙間から外を覗くと、飽きもせず家の周囲に集まっている野次馬とマスコミが見えた。ざわざわと喧騒が聞こえる。カーテンの端が揺れたことに気づいた何人かが、フラッシュを炊く。窓越しに眺めても、部外者のはずの彼らの怒りが見て取れる。私は最早何を感じる事もなく、窓辺から離れることもしないで彼らを見ていた。怒りも、悲しみも、すべてあの日に棄ててきてしまったのかもしれない。庭にはこれでもかというほどの生ゴミと、小動物の生々しい遺骸。娘のしたことになぞらえて、皮肉を込めて嫌がらせをしたつもりなのだろうか。その娘も、もういないのに。
 夫はあれ以来部屋に閉じこもって出勤することさえなくなった。外がこの調子なら仕方もないだろう。職場でもきっと質問攻めだ。彼には衝撃だっただろう、手塩にかけて育ててきたはずの子供を一度に失ったのだから。それは私とて同じだが。何が起きたのか正直良くわからない。それが当面の感想だ。あの地獄のような日からしばらく経っても。事実を理解しても、頭で受け入れることができないとはこのことだ。ただ、有坂花澄という人間が事態を飲み込んだだけ。私という母親は、何も分かっていない。考えることが、受け止めることが、感じることが、あまりにも多すぎて。
 家族の中だけで済む話ならまだ良かった。子供たちを一度に失った悲劇の母親面が出来たかもしれない。私は一生懸命育ててきたつもりでしたのに。どうしてこの歳になってこんな孤独に突き落とされねばならないのかしら。云々。然し、残念なことにことは身内で収まらなかった。息子の友達――――もしくは恋人――――の少女を巻き添えにしてしまったのだから。私は、被害者の母親であると同時に加害者の母親として、あらゆる方面に頭を下げねばならなかった。まだ悲しみも怒りも心に抱くことが出来無い内から。夫は付き添ってくれなかった。空っぽの心で、空白の表情で、謝罪をする。誰も助けてはくれないし、守ってもくれない。
 悲しむことも出来てはいなけれど、怒りを覚えることもできていないけれど、何が起きているのか、まださっぱりわからないけれど。母親として、一人の人間として、我が家で何が起きたのか知りたい気持ちはあった。この数週間の新聞を漁れば、大抵一面に我が家の出来事が掲載されていた。黒い活字に目を凝らす。でも分かるのは、その日何が起きたのか、詳細な時間と共に起こされた文字列だけ。彼らがどんな状態だったのか。その日どんな行動をとったのか。娘がこれまでの人生でしてきたこと。学校での彼らの関係。そんなことは警察から嫌というほど聞かされてきたし、知っても何にもならなかった。あの子達が何を思って生きてきたのか。私たちの教育が、愛が、なぜ届かなかったのか。どこで間違えてしまったのか。何をきっかけに娘が壊れたのか。知りたいのはそういうことだった。新聞も、テレビも、それを伝えてはくれなかった。
 あの日から私は、生きる気力が沸かなかった。それでも毎朝日の出とともに目覚めて、篭もりっぱなしの夫と私の二人分の朝食を作って……と人間らしい生活をしてしまうのは、何故なのだろうか。子供たちを失った今、生きていたくないと思う反面、変わらない日常生活を送ってしまう。心のどこかでは、死ぬのを恐れているのかもしれない。
 そんな風に惰性のまま数年を生きた。私たちの周りは何も変わらなかった。庭先から腐臭が消え、喧騒が消え、フラッシュが消えただけ。ワイドショーは我が家を忘れ、紙面はまた別の事件を追い始めた。でも、私達家族――――今や二人きりだけれど――――は、あの日から何も変わらない。出席するはずだった卒業式、入学式。見るはずだった振袖姿、袴姿、スーツ姿……花嫁姿。それらは全て、叶わない夢と化して、消えた。
 かつて世話になった警察官がある物を携えて訪問してきた。若手だった刑事も、数年の時を経て大分皺を蓄えたように見える。きっと彼から見た私も、そうなのだろう。あの事件の担当刑事――――津山といった――――の顔を見ると、辛かった日の景色や感情がありありと思い出されてしまう。けれど、だからといって無碍にあしらうこともできなかった。
「これを、お返しに参りました」
 ダイニングに腰掛けた彼は、湯気を立てるマグカップの隣にそれを置いた。A5サイズの、黒い革表紙の本だ。厚さは約5cm。誰がこんな分厚い本を読むのだろう。
 知らぬ間に、捜査の為に押収されていたそれはあの子の持ち物なのだという。家にこもって読書ばかりしていた子だったから、まぁこんな分厚い本を持っていても不思議ではない。調書は書き終わったから、遺族に返却されるのだと刑事は言った。こんな本が捜査に何の役に立ったというのだろう。あの子の心に悪い影響を与えた悪書とでも言うのだろうか。
「ご存知ありませんでしたか」
 意外そうに刑事が呟いた。静かに頷く。彼は、おもむろに表紙に手を伸ばすと、その本の適当なページを開いて見せた。

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掌編小説『死神漂流記』

短編小説

 正直、納得が出来無い。この国はどうなっているんだ、異常だ。
 斬首台に上げられた僕は、悲鳴を上げることもできずに怯えた目で周囲を見回していた。口は塞がれ、両腕は固く掴まれていて逃げられそうにもない。そもそも、この近代社会に斬首刑という物がある事からまずおかしい。あの、ギロチン大好きなフランスでさえ70年代には廃止していたのに。
 僕は先週、この国に辿り着いた。訪問したのではないし、旅行に来たのでもない。正に辿り着いたのである。僕は客船に乗って世界一周をするという何とも豪華な旅行の真っ最中であった。というのも、雑誌の懸賞に当たった為だ。まさか当選するとは思ってはおらず、そもそも応募したことも忘れていたのにその幸運。当時の僕は浮かれていた。それが先月のことだ。
 そして2週間前。僕はかの有名なタイタニック号を凌ぐ程の巨大な船に乗り込んだ。後々聞いた話によれば、現代では大きな船程安いのだそうだが、まぁそんな事はどうでも良い。僕は出発すると早速デッキに出た。大海原を感じながら、ひとしきり映画のパロディをしてのける。イルカを眺めたりカモメやうみねこを冷やかしたり、トビウオに感動したり鯨の潮吹きに出会ったり。今思えば、あまりにも素晴らしすぎる旅だった。
 出港から3日程で、天候が荒れだした。沖であるにもかかわらず波が暴れ、風は吹き付け、物凄い量の雨が甲板に降り注ぐ。もみくちゃにされた船の中で、殆どの乗客が夕飯を戻していた。然し、それは超巨大客船なのだ。間違っても転覆などするはずはない。船室にこもって嵐をやり過ごせば何事もないはずだった。それなのに、気付くと僕は膝まで海水に浸かっていた。映画館で見覚えのある情景に、僕を含め船にいた人はパニックになった。皆が救いを求めて、映画と同じ様に救命ボートに殺到する。勿論僕もだ。しかし冷静に考えてみると、それはあまりに滑稽な行動だった。ディカプリオが救命ボートを求めた時、嵐は訪れていなかったのだ。混乱故に大事なことを忘れていた僕達は、あっという間に海に投げ出された。僕の記憶はそこで途切れている。
 次に目が覚めたのは今から3日前。どこかの砂浜だった。透明な海水に白い砂。ハワイにでも連れてこられたのだろうかとぼんやり考えていたのだが、原住民の姿を見てどうもそうでないらしいことがわかった。ネイティブ達のファッションはどう見てもハワイアンではなかったのだ。然し、確かに見覚えはあった。そう、西部開拓映画「ヤングガン」に出てきた民族達だ。つまりはインディアン。最近の言葉で言うとネイティブアメリカンだ。そして身の危険を感じる間も無く捕らえられた。こうして今に至るという訳だ。
 何故彼らが現代に存在しているのかはわからないし、ここがどこなのかもはっきりしない。日本語は勿論、英語も通じないみたいだから意思の疎通もかなわない。ただひとつ判る事は、これからの僕の運命だ。多分僕は、海に流された時に異世界か異次元にでも飛ばされたのだろう。丁度ナルニアのような場所に。そうとでも考えなければやってられないし、何とか理由をつけないと死んでも死に切れない。まぁ、どんな理由があろうと無念なのには変わりがないのだが。

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星乃瑠璃

Author:星乃瑠璃
星乃瑠璃です。
ひぐらしが大好きな小説家志望の変人です。
過激で短気。
米をもらえると泣いて喜びます。

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